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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和53年(ワ)703号 判決

原告

大坪眞子

右訴訟代理人弁護士

前田貢

仲田隆明

被告

西宮市

右代表者西宮市水道事業管理者

前田一男

右訴訟代理人弁護士

美浦康重

米田宏己

岩崎昭徳

薄木昌信

主文

一  被告は原告に対し、金二二六万円及びこれに対する昭和五八年二月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決の右第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金六三〇万円及びこれに対する昭和五八年二月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、水道法第六条第一項の認可を受けて西宮市域に給水を行つている水道事業者である。

(二) 原告は、昭和四〇年九月七日肩書地で出生し、それ以来現在に至るまで、被告が経営する水道事業の生瀬浄水場及びその系統の給水施設(以下本件水道という。)から上水道水の供給を受けてきたものである。

2  原告の斑状歯の発生

(一) 原告は、本件水道の上水道水を飲用したため、斑状歯になつた。

斑状歯とは、歯の形成期において、過量のフッ素化合物を含む飲料水を摂取することによつて生ずる歯の石灰化不全の病変で、エナメル質の表面に、不透明で光沢のない白墨様の点状、線状、帯状、縞状あるいは不定形の雲状の白濁が生じ、その程度が進むと表面に小窩ができ、更に進むと、階段状又は蜂巣状の硬組織の実質欠損をともない、往々にして黄褐色あるいは暗褐色の着色を伴うに至るフッ素による全身的慢性中毒症状である。

(二) 原告は昭和四〇年九月七日生れであるが、歯牙形成期、すなわち、出生の時から八才に達する昭和四八年九月頃までの間本件水道の飲料水を飲用していた。

(三) 右期間、本件水道によつて原告が居住する西宮市生瀬地区に供給されていた上水道水は、六甲山系東端にある赤子谷の自然流水を取水し、生瀬浄水場で処理されたものであつたが、それには多量のフッ素が含まれていた。すなわち、昭和四一年から昭和四四年にわたつて行われた西宮市歯科医師会の測定では生瀬地区の上水道水中のフッ素濃度は一・九ないし三・〇ppmであり、また、大阪大学工学部環境工学科大学院グループによる測定では昭和四六年の生瀬地区の上水道水のフッ素濃度は一・六ないし二・〇ppmであつた。更に、昭和四九年九月三日に発足した西宮市斑状歯専門調査会の答申においても、昭和三四年度から昭和四六年度までは生瀬地区で一・六ないし二・一ppm程度のフッ素を含む飲用水が供給されていたものと推定されている。したがつて、このような高濃度のフッ素を含む水を飲用することにより、斑状歯になることは免れないものであつた。

(四) そのため、原告は、昭和五三年一〇月二九日の西宮市斑状歯認定審査会の専門委員による検診の結果により、上顎前歯のうち中切歯二本は厚生省分類M3の、その他の歯はすべて同分類M2の、斑状歯になつていた。

3  被告の責任

(一) 国家賠償法第二条第一項の責任

被告は水道法に基づいて事業を経営する「水道事業者」であるが、「水道が国民の日常生活に直結し、その健康を守るために欠くことのできないもの」(同法第二条)であるところから、水道事業者はその水道によつて給水を受ける者の健康を害することのないような飲料水を供給すべき義務がある。そして、水道によつて供給される水の水質基準は同法第四条第一項によつて決定され、同条第二項による厚生省の「水質基準に関する省令」では、フッ素の許容量は〇・八ppm以下とされているが、原告が前記歯牙形成期の間本件水道から供給を受けた上水道水中のフッ素濃度が右の基準を超えていたために、前述のように原告の歯に斑状歯が発生したものである。

本件水道は、国家賠償法第二条第一項にいう「公の営造物」であるが、その水道水の中に右のような過量のフッ素が含まれていたのであるから、本件水道には、右水質基準所定のフッ素許容量以下にフッ素含有量を減ずるためのフッ素除去装置を設置することが必要であつた。しかるに、本件水道にはフッ素除去装置が設備されていなかつたのであるから、公の営造物である前記浄水場及び給水設備の設置又は管理に瑕疵があつたことになり、被告は国家賠償法第二条第一項による賠償責任がある。

(二) 民法第七〇九条の責任

前述のように、被告は、水道事業者として、原告に対し、その健康を害することのない飲料水を供給すべき注意義務があるのにそれを怠り、漫然と過フッ素濃度の飲料水を供給した過失がある。すなわち、原告が生れ育つた生瀬を含む西宮市北部地域は、隣接する宝塚市とともに、古くから六甲山系から出る河川の水に含まれる高濃度のフッ素による斑状歯被害の危険性が指摘されていたところで、生瀬地区と同様に六甲山系の川水を飲料水として常用する宝塚市では斑状歯を表わす「ハクサリ」という地名があるほどである。昭和三四年三月二〇日に被告が発行した「西宮市史」第一巻においても、生瀬地区の飲料水の水源となつている赤子谷川等の川水にフッ素イオンの含有量が多く、昭和三三年一月七日に被告水道部水質試験室が赤子谷から採取した表流水のフッ素濃度は二・二ppmであつたもので、これらの川水を直接用いている地域、あるいはこれらの川水が地下水と関係する地域では、フッ素の人体に及ぼす害として斑状歯がいちじるしく、生瀬地区の上水道にもフッ素の多い水(二・二ppm)が用いられていて、この地区の児童の四一パーセントが斑状歯にかかつている、などと飲料水のフッ素濃度の高いこととそれによる斑状歯の被害の発生を指摘する記述がある。したがつて、本件水道の取水源の川水が前述のような高濃度のフッ素を含有するものであり、これを上水道として給水すれば、それを飲用する住民に斑状歯の被害が発生する危険のあることは、被告も認識していたか、少くとも予見することができたことは明らかである。したがつて、本件水道の原水中に右のような高濃度のフッ素が含まれていれば、被告において、そのフッ素を除去し、斑状歯の危険のない安全な水にしたうえで給水する措置をとるべき義務があるが、被告は、これに対して何らの対策も立てずに放置し、高濃度のフッ素が含まれたままの水を本件水道によつて生瀬地区の住民に供給したものである。

そして、被告の右過失により原告に斑状歯が発生したのであるから、被告は民法第七〇九条による賠償責任がある。

(三) 民法第七一七条第一項の責任

本件水道は土地の工作物であり、被告はその占有者で、且つ、所有者である。本件水道に斑状歯を発生させないためのフッ素除去装置が設備されていなかつたことは、土地の工作物たる本件水道の設置・保存に瑕疵があつたことになり、それによつて原告に斑状歯を生ぜしめたのであるから、被告は民法第七一七条第一項による賠償責任がある。

(四) 民法第七一五条第一項の責任

被告は本件水道事業を行うについて、その被用者である職員をしてこれを担当せしめていたのであるが、被告の右職員は、本件水道によつて給水される水道水が前述のように過量のフッ素を含んでいるのに、そのフッ素を除去することなく給水したため、これを飲用した原告に斑状歯を発生せしめたものである。したがつて、右職員は、被告の事業を執行するにつきその過失によつて原告に損害を加えたことになるから、使用者である被告は民法第七一五条第一項による賠償責任がある。

4  損 害

(一) 治療費 金一八〇万円

原告は中学一年生(提訴時)の女性で、小学生当時から上顎前歯の二本がM3、その他がM2という重度の斑状歯で、しかもこれらは淡褐色となつているため、他人の面前で発言したり、笑つたりすることに極めて消極的になり、この傾向は年令を重ねると共にその程度が甚しくなつて、生活、学業その他全般に亘つて影響が出ている。このため原告は、伊熊歯科医院で、上顎前歯六本の治療を受け、昭和五三年一一月二九日その治療を完了したが、その代金五四万円(一本につき金九万円)を同年一二月六日同歯科医院へ支払つた。そしてその治療ずみの六本のほか、さらに上下左右の各中切歯から第二小臼歯まで合計二〇本の歯のうち右治療済の六本を除くその余の一四本についても治療の必要があり、これらについても合計金一二六万円(一本につき金九万円)の治療費を要することになる。したがつて要治療歯の治療費としての原告の損害額は前記金五四万円と合して金一八〇万円となる。

(二) 慰謝料 金四〇〇万円

歯はその人の美醜を決する重要なポイントであり、女性である原告としては、斑状歯による醜状によつて想像を越える苦痛を受けている。しかも、仮に治療を受けたとしても、それによつてもとどおりになるわけではなく、歯全体に大きな影響を及ぼし、将来ともその不安は極めて大きい。したがつて、その精神的苦痛に対する慰謝料は少なくとも金四〇〇万円を下らない金額が相当である。

(三) 弁護士費用 金五〇万円

原告は、被告の不誠意により本件訴訟を提起せざるをえなくなつたが、事件の性質から考えて弁護士に依頼せざるをえず、その費用は、神戸弁護士会報酬等規定を参考にして金五〇万円を下らないというべきである。

5  結 論

よつて、原告は、前記被告の責任の項の(一)ないし(四)のいずれかの事由にもとづき、被告に対し、損害賠償として右損害額合計金六三〇万円およびこれに対する原告の昭和五八年二月三日付請求の趣旨拡張の申立書送達の日の翌日である昭和五八年二月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実のうち、斑状歯がフッ素による全身的慢性中毒症状であるとの点は否認し、その余の斑状歯の定義については、それが歯牙フッ素症についてのものであるならば認めるが、すべての斑状歯に関するものであるならば否認する。

その余の事実は争う。

3  同2(二)の事実は認める。

4  同2(三)の事実のうち、原告が、昭和四〇年頃から昭和四八年九月頃までの間、本件水道によつて供給を受けていた飲料水が、六甲山系東端にある赤子谷川より取水したものであつた事実は認める(但し、同年四月一日以降はどん尻川から取水した水が混入していた。)が、その赤子谷川の水が高濃度のフッ素を含んでいたことは知らない。

5  同2(四)の事実のうち、西宮市斑状歯認定審査会が、原告に対して、その斑状歯につきM2以上であるとの診断をなしたことは認めるが、その余の事実は知らない。後述のとおり、原告の斑状歯は、昭和五〇年四月の西宮市斑状歯専門調査会の歯科検診では、いずれもM1′(東歯大衛生分類)と診断されており、それは厚生省分類によればM1である。

なお、被告市長が、原告に対して斑状歯の認定をなしたのは昭和五三年一二月一日である。同年一〇月二九日の右審査会の専門委員による検診の結果、原告主張の斑状歯の発生があるとの診断がなされた事実はあるが、これは認定ではない。

6  同3(一)の事実のうち、被告が水道法による水道事業者であること及び水道事業者として原告主張のような義務があること、水道法第四条第一項において水質基準が法定され、同条第二項にもとづく厚生省令において上水道水に含まれるフッ素濃度が〇・八ppm以下と規定されていることは認めるが、原告が歯牙形成期の間本件水道から供給を受けていた飲料水のフッ素濃度が〇・八ppmをこえていたことは否認し、その余は争う。

右のように厚生省令の水質基準においてはフッ素濃度の基準値が〇・八ppmと定められているが、水道水のフッ素濃度が〇・八ppm以下であつても斑状歯の発生が見られることは周知の事実であり、飲料水以外の飲食物からのフッ素の摂取にも関係するところであるうえ、右厚生省の水質基準そのものも根拠は判然としないものであつて、いわば一つの目安としての基準にすぎないのであるから、その水質基準に違反したからといつて、ただちに本件水道の管理に瑕疵があつたとか、あるいは被告に過失があつたという結論にはならない。

また、フッ素は他方において歯のう蝕抑制の効果があり、う蝕を予防し、かつ、斑状歯も発生しないためのフッ素の適量は一・〇ppm前後とされているから、よほど高濃度のフッ素を含んだ上水道水を供給し、かつ、高度な被害が発生しない限り、公の営造物の管理瑕疵の問題は生じない。

本件水道が被告の市営水道となつてからは、生瀬浄水場における原水の処理は人力による固型硫酸バンドの投入によつて行つていたが、昭和四六年からは、給水量の増加に伴い、処理効率の向上をはかるため、粉末の活性アルミナに変更し、その後液状硫酸バンドが開発されたのに伴い、昭和五三年四月からはこれを導入して機械処理を行つてきた。そして、その間毎月一回定期の水質検査を実施してきたが、その結果では、給水栓水におけるフッ素濃度はいずれも〇・八ppm以下であつたもので、それほど高濃度のフッ素は検出されておらず、したがつて、本件水道の管理に瑕疵はない。

7  同8(二)の事実のうち、被告において原告主張のような注意義務のあることは認めるが、その余は争う。前項で述べたとおり、被告はその注意義務を尽しており、過失はない。

8  同3(三)は争う。

9  同3(四)は争う。

10  同4(一)の事実のうち、原告が中学一年生(提訴時)の女性であること、メタルボンドによる斑状歯の治療費が一本金九万円程度であることは認めるが、小学生当時から上顎前歯二本が厚生省分類のM3、その他は同M2という重度の斑状歯であつたとの点は否認し、その余の事実は知らない。

原告の斑状歯は、原告がM3と主張する上顎前歯二本を含む永久歯一二本とも何れも、厚生省分類ではM1、東京歯科医大分類ではM1′と診断されている。

11  同4(二)は争う。

一般に、斑状歯で美容上問題とされているのは、厚生省分類のM2以上のものであり、M1あるいはM1′については醜状や美容の問題は生じないとされているから、原告の程度の斑状歯では、精神的な苦痛を生ずることはない。仮に、原告に何らかの精神的苦痛があつたとしても、その程度は極めて軽微なものにすぎず、むしろう蝕に対する抵抗力が強くて虫歯になりにくいというプラスの面もあるから、いまだ慰謝料請求権が発生するほどのものではない。

12  同4(三)は争う。

三  抗 弁

1  右に述べたように、被告は本来住民の斑状歯について必ずしも補償をなすべき責任はないのであるが、その責任の有無は別として、斑状歯に罹患している者の治療を行うことが、住民に対する積極的行政として望ましいとの立場から、「西宮市斑状歯の認定及び治療補償に関する規程」(昭和五二年一月三一日西宮市水道局管理規程第二号。以下単に治療補償規程という。)を制定し、斑状歯患者からの要望があれば、治療補償を実施する行政措置を講じている。

そのうえ、本件については、原告の治療をしたいという希望をかなえるために、特別な取扱いとして、被告は、昭和五八年六月二日付で、原告に対し、原告の指定する医療機関において早急に未治療歯を治療するように要望するとともに、治療がなされた場合には、可及的速やかに、治療補償規程の治療基準により計算した治療費を支払う旨申出をなした。

したがつて、原告は、訴訟によらずとも、治療さえすれば、治療費の支払を受けられるのであるから、それとは別に未治療歯の治療費についての損害賠償請求権が発生する余地はない。

また、右規程による治療補償は、本来不法行為の損害賠償の対象とはならない軽微な症度の斑状歯まで本人が望むなら治療補償をなす体制を整備しているので、原告の斑状歯もそれによつて償われることができるものであるから、別に慰謝料請求を認める必要はない。

2  仮にそうでないとしても、原告は、被告の右のような治療費支払の申出を拒否して、本訴請求をなしているものであるが、それは、いわば被告の債務の弁済の提供を一方で拒否しながら、他方でその債務の履行を訴訟で請求しているのに等しく、このような本訴請求は信義則に照らし失当である。

四  抗弁に対する認否争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一争いのない事実

被告が水道法第六条第一項の認可を受けて西宮市域に給水をおこなつている水道事業者であり、原告が昭和四〇年九月七日肩書地で出生以来満八才に達するまで被告の経営する本件水道により飲料水の供給を受けていたものであること、原告が出生以来昭和四八年三月三一日までの間本件水道によつて供給を受けていた飲料水が六甲山系東端にある赤子谷川より取水したものであること、昭和五三年一〇月二九日に西宮市斑状歯認定審査会が原告の歯の検診をなし、その結果にもとづいて、被告市長が、同年一二月一日に、原告に対し、厚生省分類のM2以上の斑状歯であるとの認定をなしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

第二本件水道の沿革

〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

1  本件水道は、もと兵庫県有馬郡塩瀬村(現西宮市塩瀬町)の生瀬地区が、明治三八年より部落有共同水道として、別紙第一図のように、武庫川の支流の太多田川より原水を取水し、これを浄水槽でろ過して自然流下で各戸に給水し、飲用に供していたものであつたが、塩瀬村が昭和二六年四月一日被告に合併後、昭和三〇年一二月頃に、被告がその水道施設を地元住民から寄付採納により無償譲渡を受け、水道法による簡易水道として整備したうえ、昭和三二年七月より塩瀬町の生瀬地区一円に給水を開始したものである。

2  昭和三三年三月三一日からは、取水口が太多田川から更に分岐する赤子谷川(別紙第一図参照)に変つた。すなわち、同図の①の個所の生瀬赤子谷の湲流に潜堤を築造し、ろ過装置を施し、自然ろ過水を取水桝に取水し、これを送水管で生瀬浄水場(現生瀬配水所)に送り、滅菌処理をなしたうえ、各戸に給水されていた。

その後、給水区域における人口増や宅地造成工事による汚濁の発生などの問題があり、更に、昭和三六年、昭和四二年の台風による災害で取水口、送水管が破壊されるという事故もあつたため、別紙第一図の②ないし④のとおり順次取水口が変更された。

3  その後、塩瀬町生瀬を含む西宮市北部地域に北神戸開発計画などの大規模な開発構想が活発化したので、被告は、これに対応して、昭和四〇年九月、山口町を流れる船坂川をせき止めて丸山ダム(貯水池)を築造し、その下流に計画給水人口七万五〇〇〇人、一日最大取水量二万五〇〇〇立方メートルの能力を有する丸山浄水場を新設して、当時の山口水道及び船坂、名塩、生瀬の各簡易水道を統合することを内容とする西宮市北部水道計画を樹立し、昭和五二年八月に丸山ダムが完成、昭和五四年には山口、船坂、名塩、生瀬の四浄水施設への配水管連絡敷設工事も完成して、昭和五五年一月からは、西宮市北部全地域の水道は、丸山ダムで取水し、丸山浄水場で処理された飲料水が給水をされることになつたが、この間生瀬地区においては上水の需要が増大し、右北部水道計画の事業完成まで待てない状況にあつたため、被告は、昭和四〇年度にどん尻川を水源とするどん尻浄水場(別紙第一図参照)を計画し、昭和四七年三月に同浄水場が完成したので、昭和四八年四月一日からは赤子谷川の水とどん尻川の水を混合して生瀬地区へ給水することとなつた。

4  以上のように、本件水道については、取水口や取水経路に変遷があつたが、本件で問題となる昭和四〇年九月七日から昭和四八年九月七日までの期間のうち、昭和四八年三月三一日までの間に限つていえば、本件水道の原水は、すべて赤子谷川より取水したものであつたことになるが、同年四月一日以後はどん尻川の水が混入していることになる。

第三斑状歯について

1  斑状歯の概念とその発現機序

(一)  斑状歯とは、特定の地域に集団的に発現し、歯冠の表面に現われる白濁した模様を主体とする歯の異常で、歯の形成される期間中に過量のフッ素化合物を含む飲料水を、過剰に摂取したことによつて生ずる歯の石灰化不全の病変である(厚生省医務局歯科衛生課から発行された一九六六年版の「う蝕予防と弗素」による。)。

もつとも、斑状歯というのは、広義では、エナメル質の形成時に何らかの障害があるために生じたエナメル質発育不全歯のことであつて、フッ素によるものばかりではなく、その他の種々の原因によつても起り得るものであるから、斑状歯にはフッ素性のものと非フッ素性のものとがあることになるが、本件ではもつぱらフッ素性のものが問題となるので、以下特にことわらない限り、「斑状歯」といえばフッ素性斑状歯のこととする(鑑定人高江洲義矩の鑑定の結果では、「斑状歯」の用語はフッ素性のものに限定して使用しており、非フッ素性のものは「エナメル質白斑」と呼んで区別している。)。なお、フッ素性斑状歯について、「歯牙フッ素症」という言い方もあるが、「斑状歯」というのは症状名であつて病因名ではなく、斑状歯症状の認められるものについて、病因について明確に診断をくだせるものを「歯牙フッ素症」という病因名で診断することになるものであつて、「斑状歯」と「歯牙フッ素症」とは同義語ではない。したがつて、いわゆる病名としてはむしろ「歯牙フッ素症」という用語を用いるべきであるかもしれないが、斑状歯の定義とその用語については、専門の学者の間においても混乱があつて、それが一つの大きな問題とされているところでもあるので、本件においては、前述の厚生省医務局歯科衛生課の定義による「フッ素性斑状歯」の意味で「斑状歯」という用語を使用することとする。

(二)  人の歯の発生は胎生約六週間のころから始まり、顎の骨の中の将来乳歯の生える部位に、歯の形成の原基となるべき「歯胚」が形成され、そこから乳歯が萠出し、乳歯が脱落したあとに、その代生歯である永久歯が萠出することになるものであるが、一般には乳歯が斑状歯になることは少なく、かつ、乳歯はいずれ脱落するものであるから、実際に斑状歯が問題となるのは、主に永久歯についてである。

歯は、歯ぐきの表面に出ている歯冠部と歯ぐきの歯肉の中に埋没している歯根部からなり、中心に歯髄があつて、その周囲を包むようにして象牙質の部分があり、更に歯冠部ではその象牙質の上をエナメル質の部分がおおつている。したがつて、歯冠部、すなわち通常口腔の中に見えている歯の表面はエナメル質でできていて、そのエナメル質は正常な状態では透明なものであるが、そのエナメル質の部分に白濁あるいは白斑などの変化が生ずるのが斑状歯である。

永久歯は、胎生三か月半頃からすでに歯胚の形成がはじまり、顎の骨の中で、歯胚からまず歯冠が形成され、続いて歯根が形成されて行くのであるが、その過程で、歯胚の中のエナメル器にあるエナメル芽細胞から歯冠部のエナメル質が形成される。このエナメル質が形成される時期を石灰化期(石灰化開始から歯冠部完成まで)といい、最も早い第一大臼歯では、出生時の頃から石灰化が開始し、生後三年で歯冠が完成するが、最も遅い第二大臼歯では、生後二年半で石灰化が開始し、生後八年で歯冠が完成する。したがつて、歯全部を通じていえば、石灰化期は出生時から八才になるまでの間ということになる。

(三)  エナメル器はフッ素の影響を量も特異的に受けやすい器官であるため、エナメル質形成期、すなわち前述の石灰化期の間に過量のフッ素化合物を含む飲料水を過剰に摂取することにより、フッ素がエナメル芽細胞に作用してその発育を阻害し、その結果歯のエナメル質の形成不全を来し、斑状歯となるものである。したがつて、それはエナメル芽細胞がエナメル質を生成している間だけのことであり、歯冠が完成して萠出した後はもはやエナメル芽細胞によるエナメル生成は行われないから、斑状歯が生ずるのは、歯(永久歯)の石灰化期の間、すなわち出生から八才になるまでの間であり、かつ、その間に限つて斑状歯が生ずることになる。

(四)  このエナメル質に生ずる石灰化不全の肉眼的所見としては、歯牙表面に白濁不透明の線状、縞状あるいは歯面の一部または全歯面にわたつて白墨様、白色の素焼様の外観を呈し、褐色あるいは黒褐色の着色を伴うことがあり、さらに高度になると、歯牙の実質欠損(ピッティングと呼ばれる小陥凹部)を生ずることもある。

また、斑状歯は、前述のように、エナメル芽細胞が石灰化期間中に過剰なフッ素に影響されて発症するものであるため、歯冠部が形成されてその歯が口腔中に萠出したときにはすでにエナメル質の形成は終り、その病因も消失しているので、その時点で斑状歯の症状よりも固定していて、歯牙萠出後においては、その症状がそれ以上悪化することも、改善されることもない。但し、萠出直後は白濁であつたものが着色したり、その着色が年を経るにしたがつて程度が高くなるとか、歯質の脆弱のために二次的に表層エナメルの損壊などが生じて、一見疾患の進行を思わせることもあるが、それは斑状歯の症状そのものが進行したものではない。

(五)  フッ素によつてエナメル質の形成は影響を受けるが、その他の歯牙組織は何ら影響をうけることがないため、斑状歯になつた歯であつても、よほど重症のものでないかぎり、歯の機能的障害を伴うことはなく、むしろエナメル質はフッ素の作用で硬度が増してう蝕(いわゆる虫歯のこと)に対して抵抗力が強くなるため、正常な歯よりも虫歯になりにくいという点では逆に有利でさえある(そのため、このフッ素による耐う蝕性の増強ということを利用して、上水道水にわざと一定濃度のフッ素化合物を添加して給水し、それを飲用することによつて虫歯を防ぐという、上下道フッ素化によるう蝕予防抑制対策が提唱され、実際に行われている地域さえある。)。

したがつて、斑状歯であることによつて生ずる障害は、歯の生理的機能に関するものではなく、その歯の表面の白斑や白濁などの外見的な異常そのものが美容上不快感を与えるという、もつぱら審美的な点だけが問題となるにすぎないものである。但し、斑状歯でも重度のもの(後述の厚生省分類のM3に該当する場合)になると、前述のように歯面にピッティング(小陥凹部)などの実質欠損を生じ、それが更に拡大進行することもあつて、歯牙の機能面での障害を生ずることもある。

2  斑状歯の分類基準

(一)  斑状歯の分類基準としては、別紙第一表記載の三種類が主に用いられている。そのうち、ディーンの分類は、一九三四年にDeanが提唱した症度別分類基準であり、この分類基準はそのまま現在まで世界的に広く用いられ、一九七一年発行の世界保健機構(WHO)による画期的なマニュアルである「口腔診査法」にも採用されているものである。これに対して、わが国では、厚生省の分類(昭和二八年厚生省が行つた全国的調査に際して、同省医務局歯科衛生課長大西博士、東京医科歯科大学北教授、同大学三村教授らによつて定められた厚生省式斑状歯分類)が従来から広く用いられていた。これは、だいたいディーンの分類に準拠しながら、これを簡易化して、使いやすくしたものである。すなわち、ディーンの分類と厚生省の分類を対比してみると、わずかな相違はあるが、両者はほぼ一致しており、厚生省分類は主としてディーン分類にしたがつて、さらに便宜的にこれをM±(M0)、M1、M2、M3の記号を付して表現し、そのうちのM1ないしM3について更に褐色沈着のある症例では右各記号にそれぞれ着色を示す記号のBの文字を付加することにしているものである。したがつて、ディーンの五階級分類が、厚生省分類では四階級に簡略化されていることになる。

(二) しかし、東京歯科大学衛生学教室上田喜一教授を中心とする研究者らは、厚生省分類に従つて斑状歯調査を実際に行つてみると、M1とM2の診断基準の間隔が大きく、飲料水中のフッ素濃度と斑状歯発現の関係を調べる上で不便があるので、その間にディーンの分類のMildに相当する階級の「M1′」という亜型を設定し、それを白斑・白濁の範囲が歯面の四分の一以上四分の三以下に及ぶものとして、全面白濁であるM2と区別しやすいようにした新たな分類基準を一九六四年に提唱し、口腔衛生学会での承認を得た。これが別紙第一表の「東京歯大衛生教室(上田ら)」の分類基準(以下、東京歯大分類という。)であるが、これは、要するに、厚生省分類のM1とM2の診断基準の間隔が大きくあき過ぎていて実際の適用上不便なので、その間にM1′を設定することにしたものであり、それによりほぼディーンの分類に近似したものとなつた。しかし、ピッティング(小陥凹部などのエナメル質の実質欠損)の解釈について、東京歯大分類とディーン分類との間に相違点のあることが指摘されている。すなわち、ディーンはModerate(東京歯大分類のM2)に小さな陥凹部がしばしば見られるので、この階級にピッティングを入れているが、前記上田喜一教授ら東京歯科大学の研究者は、ピッティングは斑状歯罹患度の著しい歯における二次的なエナメル質崩壊現象で、ピッティングの存在する斑状歯ではほとんどの場合全歯面白濁を呈しているので、ピッティングの存在はM2の進行したものと考え、ピッティングの認められる症例をM3に位置づけている。一方、厚生省分類では、M3を「M1、M2の変化にさらに歯の実質欠損を伴つているもの」としているため、その字句どおりに読めば、M1程度の白濁あるいは白斑であつても、実質欠損を伴えばM3該当の症例と分類するかのように見えるが、本件の鑑定人高江洲義矩を含む前記東京歯科大学の研究者らは、それはこれまでの斑状歯疫学調査の国内外の広範な成績から見て、科学的な判定基準とはいえず、妥当ではなく、むしろ、厚生省分類も東京歯大分類と同様な見解でM3としているのであろうとして、その著書、論文に掲載する厚生省分類では、M3を、「M2にピッティングの加わつたもの」と修正している。

(三)  以上のように、これら三種類の分類基準は、区分の仕方に若干の相違があるけれども、ディーンの分類が基本になつているもので、別紙第一表に対比して掲記したとおり、各階級がそれぞれ対応する関係にある。そして、これら分類基準に共通していえることは、いずれも斑状歯に罹患した歯における白濁あるいは白斑の病変部分の範囲の大小、すなわち病変部分の面積の全歯面に対する比率を主な基準として症度を分類しようとするものであり、したがつて、自斑あるいは白濁の濃淡の度合など、その病変部分の視覚的な要素は分類上考慮されていないということである。

第四原告の斑状歯

(以下、歯の説明は、別紙第二図の歯の種類と部位により、上顎を上、下顎を下とし、左右の各番号をもつて表示することとする。)

一1  〈証拠〉によると、原告は、昭和五〇年四月二三日(小学校四年生当時)に西宮市斑状歯専門調査会(以下、専門調査会という。)の歯科検診を受け、その時点ですでに萠出していた永久歯一二本(上下左右各一、二、六番)すべてM1′の斑状歯と判定されたこと、また、昭和五三年一〇月二九日の西宮市斑状歯認定審査会(以下、認定審査会という。)での検診の結果、その時点で萠出していた永年歯二五本(上左右及び下右の各一ないし六番、下左の一ないし七番)につき、上左右一番二本は厚生省分類M3の斑状歯、その他の歯はすべて同M2の斑状歯と判定され、同年一二月一日付で被告市長により右認定審査会の検診結果のとおり斑状歯の認定を受けたことが認められる。

右昭和五三年一〇月二九日の検診及び同年一二月一日付の認定は、被告の治療補償規程第四条による検診及び第五条の認定である。

2  鑑定人高江洲義矩の鑑定の結果(以下、高江洲鑑定という。)及び証人高江洲義矩の証言も、原告の現在の永久歯二八本(上下左右各一ないし七番)のうち、右鑑定人による原告の歯の検診が行われた昭和六〇年四月一日当時すでに補綴治療がなされてしまつていた上左右各一ないし三番の六本の歯を除くその他の歯全部が典型的な斑状歯であると判定しており、また、右補綴治療済の六本の歯についても、検乙第一、二号証の写真の上での判定ではあるが、すべて斑状歯であつたと推定している。

なお、高江洲鑑定の検診時における原告の歯は、上下とも左右各一番ないし七番までの永久歯合計二八本であるが、昭和五〇年四月二三日の専門調査会による検診時においては、上下左右各三番ないし五番はまだ乳歯であり、また、永久歯は上下左右各一、二、六番のみであつて、上下左右各七番の永久歯は当時未萠出であつた。そして、昭和五三年一〇月二九日の認定審査会の検診時では、甲一号証のとおり、上は左右各一ないし六番、下は右が一ないし六番、左が一ないし七番についてだけ斑状歯の認定がなされているので、これらについてはすべて永久歯として萠出後であつたものと認められるが、上左右及び下左の各七番(第二大臼歯)は当時未萠出であつたことになる。

3  以上により、原告の現存する永久歯二八本は、いずれも斑状歯(但し、前記補綴治療済の六本については、その治療前の状態において)に罹患していたものと認められる。

二1  原告の斑状歯の歯の症度の分類については、先ず、高江洲鑑定によると、同鑑定人検診時における原告の歯二八本のうち、補綴治療済の六本を除く二二本の歯についての前記各分類基準による判定は、別紙第二表の1のとおりである。但し、証人高江洲義矩の証言によれば、同表の判定のうち、下左右の各一、二番の東京歯大分類がいずれもM1′となつているのはM2に、上左の五番の東京歯大分類がM1となつているのはM1′に、下右の七番のディーン分類がVMとあるのはMに、東京歯大分類がM1とあるのはM1′に、それぞれ訂正されることになるので、訂正後の判定は別紙第二表の2のとおりになる。

2  これに対し、前記認定のとおり、専門調査会による歯牙検診においては、原告は、上下左右の各一、二、六番がいずれもM1′の斑状歯と判定されている(後述のように、右調査会においては、分類基準は厚生省分類に準拠しながら、M1とM2の間にM1′を設定しているので、実際には東京歯大分類と同じことになり、右判定は同分類のM1′該当ということになる。)。

3  更に、前述のように、原告に対しては、すでに治療補償規程にもとづく被告市長による斑状歯の認定がなされており、その認定部位表によれば、原告のその当時の歯(したがつて、上の左右各七番、下の右七番はない。)のうち上左右一番(中切歯)はM3、その他の歯はすべてM2と判定されている。

4  このように、原告の歯については、高江洲鑑定のほか、前記専門調査会及び認定審査会の各検診の結果があるので、これまでに三つの判定が出たことになるが、これらの鑑定あるいは歯牙検診による原告の斑状歯の分類の判定は、それぞれ相違していて一致しない。この分類は、本件で原告が治療必要と主張している歯、すなわち上下左右の各一ないし五番の歯について特に問題になるが、この範囲の歯の症度の分類について、高江洲鑑定と前記専門調査会の判定とでは、補綴治療済の六本を別とすれば、両者に共通して検診の対象となつた歯は下の左右一、二番のみであり、東京歯大分類あるいは厚生省分類で、高江洲鑑定がM2、専門調査会判定がM1′である。このM2とM1′の差は、既述のように、白斑部分の面積が、歯面全体のほとんど全面に及んでいるか、それともその四分の一以上四分の三以下の範囲かということであるが、専門調査会の検診担当医として直接原告の歯の検診を行つた証人中垣晴男の証言によると、上下左右の各一、二番の歯の白斑部分が、だいたい三分の一から二分の一程度であつたので、M1′の判定になつたということである。一方、高江洲鑑定では、原告の斑状歯を全体としてM2該当と判定しているが、その判定の根拠となつた該当歯は下左右の各三、六番(別紙第二表の1及び2参照)であつて、M2といつても、歯面ほぼ全面に白濁が認められるが、強いものではなく、濃淡の弱い白濁であるので、検診者によつてはディーン分類のMild'東京歯大分類のM1′に判定されることもありうるとしている。また、証人高江洲義矩の証言の中では、下左右各一、二番について、白濁部分は七五パーセント前後であつたが、ほぼ全面にと見てもよく、M2とした方が自然であるという言い方もしている。これらの判定は、精密写真撮影法などの器械類による厳密な測定をなしたわけではなく、検診者の肉眼的視診のみによる、いわば目分量の判断であるから、ある程度の診断誤差が生ずることは避けられないところであり、高江洲鑑定についても、同鑑定人自身その証言の中で認めているように、鑑定のための検診が時間的な制約上必ずしも十分な観察を尽したとはいえず、より精度の高い判定をなすためには再度綿密な検診が行われるべきものであつた(その再検診は原告本人の拒否により実現しなかつた。)。

そのほか、証人飯塚喜一の証言も、検乙第一、二号証の各写真を見たうえでの印象として、(検診担当者が)M1′かM2か判断に迷つた可能性も考えられるが、M3という可能性は絶対ないといつており、M1′としても、かなりM2に接近した判定の難しい症例であつたことが窺われる。

以上のような各判定者の所見からすれば、下左右各一、二番の歯についての、専門調査会のM1′、高江洲鑑定のM2という判定の違いは、分類的に微妙な症例についての診断誤差によるものと見るべきであつて、いずれも誤まりとはいえず、どちらをとつてもあながち不当とはいえないような、M2に近いM1′の症例であるとするのが妥当であると考えられる。

5  これに対し、認定審査会の検診の結果では、上左右各一番がM3、その他の歯は一律にすべてM2という判定である。したがつて、専門調査会の方でも検診の対象になつている上下左右各一、二、六番の一二本についていえば、いずれもM1′とする同調査会の検診の判定といずれも相違することになる。そのうちの高江洲鑑定においても判定がなされている上左右各六番、下左右各一、二、六番については、上右六番を除き、認定審査会も、高江洲鑑定も、いずれもM2で一致しているので、その限りでは高江洲鑑定と専門調査会の検診におけるM2とM1′の判定の差と同じことになるともいえるが、その他の歯についても一律にM2としているのは、結局原告の歯のすべてについて白濁部が歯面のほとんど全面に及んでいるということになり、高江洲鑑定及び証人高江洲義矩の証言に照らし、とうてい信用できず、適正な判定とはいいがたい。このような判定の仕方は、その判定医の一人である証人伊熊和也の証言の中の判定についての見解に符合するものであることは明らかであるが、その見解は、証人松村敏治、同中垣晴男、同飯塚喜一及び同高江洲義矩の各証言と対比すると、むしろ独自の考え方にもとづくもので、科学的な客観性、妥当性の面で疑問が多く、にわかに首肯しがたいものであり、したがつて、このような見解に沿つてなされた認定審査会の判定も、高江洲鑑定と比較して、精度及び信頼性において劣るものといわざるを得ない。

6  補綴治療の上左右各一ないし三番の歯については高江洲鑑定による判定はないので、前述のように、専門調査会の上左右各一、二番についてのM1′の判定と、認定審査会の上左右各一番をM3、同各二、三番をM2とする判定があるだけである。M3かどうかはピッティングの有無にかかるものであるから、ピッティングの点は別として、白斑部分の面積による分類とすれば、M1′かM2かという既述の判定の差の問題になる。左右一、三番の歯は、上顎と下顎の石灰化の時期は同一であり、また、同二番についても、上顎と下顎とで、石灰化開始時期には七、八か月のずれはあるものの、歯冠部完成時期は同一であるから、全体としての石灰化期間はそれほど著しく異なるわけでもない。したがつて、斑状歯のまま現存する下の左右各一ないし三番の症度から補綴歯についての補綴治療前の症度をある程度類推することもできると考えられる。前述の高江洲鑑定及び証人高江洲義矩の証言によれば、下の左右各一ないし三番は厚生省分類及び東京歯大分類でM2、ディーン分類でModerateであるから、上の左右各一ないし三番も同程度の斑状歯であつたと推認することもでき、また前出検乙第一、二号証、証人松村敏治、同飯塚喜一及び同中垣晴男の各証言をも併せて考えれば、これら補綴処置済の歯は、少なくともM2に近いM1′以上の症度の斑状歯であつたことは疑いのないところである。なお、M3該当の斑状歯があつたかどうかについては、検乙第一、二号証、証人松村敏治及び同中垣晴男の各証言からすれば否定的に解せざるを得ないけれども、M2かM3かは、M2の歯についてのピッティングなど実質欠損の有無によることであるから、治療の要否の問題としては、後述のようにM2以上を要治療歯とすることになれば、M2に達しているかどうかさえ判断すれば足り、M3該当の有無を特に追究するまでの必要はないことになる。

第五本件水道と原告の斑状歯との関係

一飲料水と斑状歯との因果関係を肯定するためには、(1)その飲料水に過剰濃度のフッ素が含まれていること、(2)その飲料水を、歯の石灰化期の期間中、継続的に飲用したこと、以上の二つの条件が充足されなければならない。

右のうち、(2)の条件については、原告が、その歯の石灰化期である出生時から八才に達するまでの間、すなわち昭和四〇年九月七日から昭和四八年九月頃までの間、本件水道から供給される水道水を、継続的に飲用していたことは当事者間に争いがないので、これを認めることができる。

したがつて、右(1)の条件、すなわち右期間内の本件水道の水道水に過剰濃度のフッ素が含まれていたことが認められれば、本件水道と原告の斑状歯との間の因果関係が肯定されることになる。

二本件水道の水道水のフッ素濃度を調査した資料としては、専門調査会の答申(甲第七号証)がある。右甲第七号証、証人松村敏治及び同中垣晴男の各証言並びに弁論の全趣旨によつて認められるように、右専門調査会は、被告市長の委嘱により設置されたもので、斑状歯に関する学問的研究の分野での代表的な学会である口腔衛生学会から推せんされた専門の学者と地域における公衆衛生の専門の学者とからなる専門委員によつて構成され、昭和四九年九月三日に発足した。そして、被告市長から西宮市北部地域の斑状歯をめぐる諸問題に関する実態調査とその原因除去及び対策についての諮問を受けて、昭和五〇年度に、西宮市北部地域の名塩、生瀬、山口及び船坂の四地区を調査地域とし、同地域所在の山口、船坂、名塩、生瀬の各小学校の四学年から六学年までの児童全員と山口、塩瀬の両中学校の生徒全員一〇九七名を対象に、アンケートによる居住歴及び飲水歴の調査をなしたうえ、同年四月二一日から同月二三日にかけてそのうち一〇四〇名の歯牙検診を実施したほか、水道水中のフッ素濃度についての調査及び測定を行い、これらの調査、検診などの資料にもとづいて考察した結果が、昭和五一年五月一三日「西宮市の北部地域の斑状歯問題について」と題する答申(以下専門調査会答申という。)にまとめられた。

右答申の要点は以下のとおりである。

1  児童・生徒の歯牙検診の結果について

(一) 受診者の中で、集計対象者(この地区で出生し、その後引続き同地区で市水道水を飲用して成育した者)四二〇名について、正常なるもの三三・一%、斑状歯(専門調査会では斑状歯の判定基準について厚生省の分類に準拠したが、M1とM2との間に、M1′を設定してやや詳細に判定するように配慮した。)M0(M±)(疑問型)五・〇%、同M1(軽微症)二一・二%、同M1′(軽症)二二・四%、同M2(中等症)一六・九%、同M3(重症)一・四%という結果が得られ、これらの地区別、学年別斑状歯罹患状態の実数から集計すると、地区別のCFI(地域斑状歯指数。その地域の歯牙フッ素症の出現状態を示す指標で、これをもつて歯牙フッ素症の限界、すなわち飲料水中のフッ素量の発症の限界を現わそうとするもの。)は、別紙第三表のとおりである。

ディーンによると、CFIの値が〇・四以下であればフッ素の影響に対する心配はないとされ、〇・六を超える場合には飲料水中のフッ素と判断され、公衆衛生学的立場から、フッ素濃度を減少させるための努力が必要であるとされており、右第三表に示すごとく、生瀬、山口、船坂の各地区のCFIは、それぞれ一・七三、一・六九、一・三三であつて、名塩地区以外はいずれも〇・六をうわまわつており、CFIの数値が高いということができる。

(二) 特に歯のエナメル質が形成される時期にフッ素が関与して発生した斑状歯(歯牙フッ素症)の場合は、う蝕罹患性の低い事実が多くの疫学的研究や実験的研究から立証されているので、検診に際してう蝕罹患率を調査集計した結果、生瀬、山口、船坂の三地区では、それぞれ名塩地区に比べて、う蝕罹患率がいずれも有意性をもつて低率である。このことから、生瀬、山口、船坂の三地区の斑状歯の原因はフッ素によるものであり、したがつて、これらの斑状歯は「歯牙フッ素症」であるということの一つの根拠にもなりうる。

2  水道水中のフッ素濃度について

(一) 本調査会の歯の検診対象者についての、永久歯歯冠部の形式(石灰化)時期を考えると、昭和三四年から昭和四六年ぐらいまでの期間の飲料水中のフッ素濃度が「歯牙フッ素症」におかされるためには関係しうることになる。しかし、この期間の水道水のフッ素濃度を知るための資料はあまりにも不十分であるが、本調査会が収集することのできた資料と現実に測定し得たデーターなどをまとめれば、別紙第四表のとおりである。

(右第四表の「市水道局資料」は乙第一六号証、「西宮市歯科医師会測定資料」は乙第一八号証、「阪大工学部環境工学科大学院グループ測定」は乙第一九号証、「調査会の測定資料」は乙第一七号証である。)

(二) この中の市水道局資料による北部地域の各地区に配水された原水のフッ素濃度については、水道局では、昭和三六年度から昭和四六年度までは、水道法による月一回の水質検査で、〇・八ppmのフッ素濃度になるように調整していた。そうすると、この地域での原水中でのフッ素濃度の変動幅がかなり大きいために、名塩地区以外では年間を通じて相当の日数〇・八ppm以上のフッ素を含む水が給水されていた可能性がかなり強い。

しかも、この期間中に、散発的ではあるが、測定された西宮市歯科医師会の資料や、大阪大学工学部大学院グループの資料から給水中のフッ素濃度について考察してみると、原水中のフッ素濃度で、頻度の高い数値と比較的よく符合することがわかる。したがつて、市水道局資料による原水中フッ素濃度の度数分布から得られる平均値及び頻度の高い数値を参考にして、右第四表の「給水中F濃度の推測値」を記したものである。これによると、昭和三四年度から昭和四六年度までの期間中、〇・八ppm以上(時には一・〇〜二・〇ppm)のフッ素を含んだ水道水が、生瀬、山口、船坂地区に、比較的高頻度で給水されていた可能性が十分に考えられる。

(三) 水道水中の推定フッ素濃度は、歯科検診の結果から得られた前記CFI値から生物学的に推算することができるので、その値を右第四表の「調査結果のCFI値からの推算F濃度」に記した。

3  考察およびまとめ

歯牙検診の結果及び水質検査資料などについて考察すると、生瀬、山口、船坂地区では、水道水中にフッ素が過量に存在していたことが十分に考えられ、右第四表に記載したように、昭和三四年度から昭和四六年度まで生瀬地区で、一・六〜二・一ppm、山口地区で〇・八〜一・三ppm、船坂地区で〇・六〜一・一ppmの程度のフッ素を含む飲料水が供給されていたものと推定され、以上のことから、今回の調査結果をまとめると次のとおりになる。

(一) 名塩地区を除く西宮市北部三地区、すなわち生瀬、山口、船坂の各地区では、少くとも昭和三四年度から昭和四六年度にわたつて、フッ素濃度が厚生省基準の〇・八ppmをうわまわる水道水を供給していたことはほぼまちがいのない事実であろう。

(二) 生瀬、山口、船坂の三地区のう蝕罹患率はフッ素濃度の低い名塩地区と比較してかなり低率であり、このことも、フッ素の影響をうらづけるものの一つである。したがつて、この三地区に高率に認められる「斑状菌」は「歯牙フッ素症」と判断される。

(三) この場合、厚生省基準の〇・八ppmを厳重に守つていたとすれば、これ程高率の斑状歯患者を出さずにすんだものと推察される。

三右答申によれば、原告が居住生育した生瀬地区においては、昭和三四年度から昭和四六年度までの期間中、〇・八ppmを越える(時には一・〇ないし二・〇ppm)濃度のフッ素を含んだ水道水が比較的高頻度で給水されていた可能性が十分に考えられるということであり、しかも、CFI値からの推算フッ素濃度(昭和三四年度から昭和四七年度までの期間)が二・七ppm、その他の推定資料による給水中フッ素濃度の推測値(昭和三四年度から昭和四六年度までの期間)が一・六ないし二・一ppmという結果が示されている。そうすると、原告の歯の石灰化期において、原告が本件水道から給水を受けていた飲用水も、右のように高濃度のフッ素が含まれていたことが推認される。

もつとも、後記「第六被告の帰責事由」の項において詳述するとおり、被告においても、その原水をそのまま各家庭に給水していたわけではなく、生瀬浄水場における浄水処理の過程で毎月一回水質検査を行い、その結果に応じてフッ素除去の方法を用いて給水中のフッ素濃度が〇・八ppm以下になるように調整していたものである。しかし、それによつて水質検査当日の給水中のフッ素濃度は右の程度であつたかもしれないが、それ以外の日には〇・八ppm以下にフッ素濃度が保たれていたことにならないことは後述のとおりであり、給水中にもかなりの高濃度のフッ素が含まれていたとする推認を覆すべきものではな〈い〉。

四水道法第四条、水道法施行規則第一〇条にもとづいて制定された「水質基準に関する省令」(昭和三三年七月厚生省令第二三号。昭和四一年五月六日厚生省令第一一号で改正。)による水質基準(以下「水質基準」という。)のフッ素の基準値は〇・八ppmと定められているが、右水質基準が制定されるまでの水道協会による「飲料水の判定標準とその試験方法」(昭和二五年)ではフッ素濃度の標準値は一・五ppmとなつていたし、WHOの基準値は一・〇ppm、米国では〇・六ないし一・七ppmなど諸外国の基準値にも差異があつて、わが国の現行水質基準における〇・八ppmという基準値が定められた根拠は必ずしも明らかではない。う蝕防止の目的による水道水フッ化のための許容限度を示す至適フッ素濃度(ディーン分類のModerate以上のいわゆる好ましくない斑状歯を発生させない程度で、かつ、う蝕抑止に有効性のあるフッ素濃度)が、世界的には一・〇ppm前後が多く、わが国では〇・八ないし一・一ppmが想定されていて、前記水質基準の基準値はその最下限値をとつて設定されたものといわれているが、いずれにせよ〇・八ppmというフッ素濃度それ自体はそれほど有害危険なものではないのであるから、その基準値を越えていたというだけでは、そのことがただちに斑状歯の発生に結びつくわけではない。一般的には、飲料水中のフッ素濃度が一・〇ないし二・〇ppm以上のときに最も発生率が高いといわれているが、それより低い濃度でも斑状歯は発生することがあり、飲料水中のフッ素の量と斑状歯の関係は、その地方の気温、環境及び住民の個人的な差異によつて必ずしも一定しないものである。すなわち、水を飲む量が多いとフッ素含有量が少くても斑状歯が発生することになり、米国では一・〇ppmでもあまり著明に斑状歯は現われないが、インドでは〇・四〜〇・五ppmでも著明に起ることが報告されているように、フッ素濃度と斑状歯の発生は必ずしも比例関係にはなく、したがつて、フッ素濃度が何ppmであるから何パーセントの斑状歯が発生するとか、逆に、何ppm以下なら斑状歯が発生しない、といつた形で説明することはできないともいわれている。

しかし、前記専門調査会答申の内容のほか、〈証拠〉によつても、生瀬地区に給水された水道水のフッ素濃度が、単に水質基準の基準値を越えるだけでなく、それを相当大きくうわまわる高濃度のフッ素を含有していたものであることが推認されるし、同答申にも記述されているように生瀬地区のCFI値が〇・六をはるかにうわまわる一・七三に達していたこと、〈証拠〉によつて認められるように、西宮市北部地域の前記山口、生瀬及び船坂地区において、同じ水道の水を出生時から一定期間継続的に飲用した住民の間に集団的に斑状歯が発生していること、〈証拠〉によつて認められるように同じく武庫川水系の川水を水道水として飲用している隣接の宝塚市においても同様に斑状歯の発生が見られること、高江洲鑑定及び高江洲証言によつて原告の歯が典型的な斑状歯(歯牙フッ素症)であると認められ、かつ、本件水道水中のフッ素以外にその原因となるべきものが見あたらないこと、以上の事実からすれば、原告の斑状歯が、その歯の石灰化期の間に飲用した本件水道の水の中のフッ素によるものと認めるべきであ〈る〉。

五以上のとおり、原告が出生した昭和四〇年九月から八歳に至る昭和四八年九月頃まで飲料水として使用していた本件水道の水道水に過量のフッ素が含まれていて、そのフッ素が原因となつて原告に斑状歯が発生したものと認められる。

第六被告の帰責事由

一被告が、水道法上の水道事業者として、本件水道により塩瀬町生瀬地区の住民に水道水を供給しているものであること、水道は国民の日常生活に直結し、その健康を守るために欠くことのできないものであるから、水道事業者はその給水を受ける者の健康を害することのないような飲料水を供給すべき義務があること、水道によつて供給される水の水質基準は水道法第四条第一項によつて定められ、同条第二項にもとづく水質基準に関する厚生省令でフッ素の基準値が〇・八ppmと定められていることは当事者間に争いがない。

清浄にして豊富低廉な水の供給を図り、もつて公衆衛生の向上と生活環境の改善とに寄与するという水道法の目的に照らし、水道水は、いやしくもその供給を受ける者がそれによつて健康を害することのないように、飲用しても衛生的に安全無害な水質を保つものでなければならない。したがつて、水道事業者として本件水道を経営する被告は、本件水道から水道水の供給を受ける者に対し、常時清浄で、かつ、衛生的に安全無害な飲用水を供給する義務があり、そのためには、取水、浄水、配水などの水道施設全般の操作運営を適正に行い、その水道水が法令の定める水質基準に適合するかどうかについて絶えず水質検査を実施し、その検査結果を適確に判断して、もしその中に人の健康にとつて有害な物質、たとえば斑状歯の原因となるおそれのある高濃度のフッ素が含まれていたならば、これを除去する措置を講じ、安全無害化したうえで給水するなど、適切な水質管理をなすべき注意義務がある。

原告が歯の石灰化期の間に給水を受けていた本件水道水には、前記認定のとおり高濃度のフッ素が含まれており、それを飲用する者の歯に斑状歯を生ずるおそれがあつたのであるから、被告としては、そのような水道水をそのまま給水してはならず、フッ素を除去し、水質基準に適合するまでその濃度を低減させるための措置を講ずる必要があつたことは明らかである。

二前述のように、原告の歯の石灰化期の間、塩瀬町生瀬地区の水道水は、赤子谷川から取水した原水(但し、最後の数カ月はどん尻貯水池の原水が混入している。)を生瀬浄水場で浄化処理して給水していたのであるが、〈証拠〉により、被告の水道局において、その期間を通じて、本件水道の原水と給水栓水につき、毎月一回定期の水質検査を行つてきたことが認められる。その水質検査の結果の年別集計表である右乙第一六号証によると、赤子谷原水については、昭和四〇年度から昭和四八年度までの間、フッ素濃度は年平均で〇・九ないし二・〇ppm(どん尻貯水池原水については、昭和四八年度の平均で〇・一五ppm)というかなりの高濃度を示しているのに対し、生瀬地区の給水栓水では、フッ素濃度が昭和四四年度から昭和四八年度までの間の年平均で、〇・五九ないし〇・七九ppm(その間の最高値でも〇・八ppm)という結果になつている。右のように、原水中のフッ素濃度が高い数値を示しているのに対し、給水栓水中のフッ素濃度が水質基準の〇・八ppmを越えたことがないのは、被告の主張するように、浄化処理の過程で、硫酸バンド法あるいは活性アルミナ法による処理をなして、フッ素濃度が水質基準を越えないように調整したうえ飲料水を供給していたためであると考えられる。

弁論の全趣旨によれば、水道水からフッ素を除去する方法としては硫酸バンド法と活性アルミナ法とがあり、前者は、通常の浄水場でも濁質を除去するために用いられるもので、原水に硫酸バンドを注入して凝集沈でんさせる方法であるが、高濃度フッ素除去の目的のためには、フッ素濃度に応じ、通常の二ないし一〇倍の硫酸バンドを原水に注入して、沈でん処理するものであり、現在のところ、この方法が主に用いられていて、それにかわるより良いフッ素処理方法はまだ開発されていないということである。

そのフッ素除去効果について、被告は、浄水場の日々の給水において、原水中のフッ素量を種々変化させ、それに応じた硫酸バンドを注入し、フッ素除去効果を明らかにする実験はなされていないので、給水口における最大フッ素量を〇・八ppm以下とすることができる原水中の最大フッ素量は何ppmであればよいかを明らかにすることはできないと述べているが、前述のように定期水質検査時にフッ素濃度を給水中で〇・八ppm以下になるように調整していたこと、生瀬浄水場で、昭和五三年度ないし昭和五四年度において、原水中のフッ素濃度が平均二・一八ないし二・二五ppmであつたのが、配水中では平均〇・四六ないし〇・五ppmに調整されていたこと(被告の主張による。)からすれば、前記処理方法をより高頻度で継続的に用いることによつて、給水中のフッ素濃度を常時〇・八ppm以下に保つように、同浄水場で調整することは技術的に可能であつたと認められる。

三ところで、専門調査会答申によれば、西宮市北部地域の原水中のフッ素濃度の度数分布について、その変動幅が非常に大きいこと、そのため月一回の水質検査だけでは給水中のフッ素濃度を基準値以下に調整するという所期の目的を達することは困難であり、その当然の帰結として、〇・八ppm以上のフッ素濃度の水が給水されていた可能性が強いこと、原水中のフッ素濃度が大幅に変動する傾向があるところから、今後も上水中のフッ素濃度は毎日監視される必要のあることが指摘されている。

本件水道において、硫酸バンド法などによるフッ素濃度の調整が行われていたことは前述のとおりであるが、それが用いられた時期、回数など具体的な態様についての証拠がないので、実際にどのような形でフッ素濃度の調整が行われていたかは明らかではない。もし、月一回の水質検査の当日だけ行われたものとすれば、それ以外の日は原水中の高濃度のフッ素がそのまま未調整で給水されたことになるであろうし、毎日継続的に行われたものとしても、それは月一回の水質検査時における原水中のフッ素濃度に対応した調整をそのまま継続することになるから、前記専門調査会答申及び〈証拠〉によつて認められるように原水中のフッ素濃度が日によつて大きく変動している以上、検査当日の調整度を越えるフッ素濃度の原水が取水された日には基準値を越えるフッ素を含む水道水が給水されることになる。前出の市議会第一二回定例会(昭和四七年一二月)において、被告水道事業管理者が、生瀬の(水道水の)原水は(フッ素が)非常に高濃度のもので、それを食いとめるための操作をやつている、その操作によつて、きようの水はこれくらいの濃度のものであるから、プラス、マイナス上下するのを見越して、これくらいな処理で維持できるというように措置しているが、定例検査の間において非常に高濃度のものが出てきたときには、これに即座に対処できるという形になつていない、それで一月の間にはそういう操作で処理できなかつた以上のものが出る、という趣旨の答弁をしているのも、右に述べたことを裏付けるものということができる。したがつて、月一回の水質検査によるフッ素濃度の調整だけでは、専門調査会答申が指摘するとおり、山口、生瀬、船坂の三地区では、年間を通じて相当の日数〇・八ppm以上のフッ素を含む水が給水されていたものと推認され〈る〉。

四厚生省環境衛生局水道課の「水道水質の指導指針」にも記述されているように、省令で定める全項目についての水質検査(毎月検査)はおゝむね月一回行われることになつており、被告においてもその毎月検査は右指導指針にしたがつて実施してきたことになるが、それは最低の基準を示したものであり、実際の管理にあたつては、水源、浄水施設、規模等の状況により必要な水質検査を行わなければならず、水質検査の結果は水質基準に示された値及び従来の結果と比較検討し、基準に適合しない場合には適切な措置をとり、基準値に近い場合、あるいは著しい変化が認められる場合には監視体制の強化をはかることが必要とされている。

五塩瀬町など西宮市北部地域の川水はフッ素の含有量が多く、その水を飲用水として使用する地域住民に斑状歯が発生しているということは早くから指摘されていたことである。すなわち、六甲山系東端の武庫川水系の仁川、太多田川(本件水道の水源である赤子谷川はその支流である。)、船坂川、有馬川はともにフッ素の含有量が多く、これらの川水を直接用いている地域、あるいはこれらの川水が地下水と関係する地域では、そのフッ素による斑状歯がいちじるしく、宝塚市の「ハクサリ」という地名もこれに由来するといわれるほどであり、塩瀬町など西宮市北部地域の飲料水の水質、特にそのフッ素含有量と地域住民における斑状歯の関係はかなり以前から問題とされていたものであつて、すでに昭和二四年に兵庫県衛生部内に「弗素被害対策委員会」が組織され、当時の塩瀬村などを対象に水道水や流水中のフッ素含有量の調査が行われたのをはじめ、その後も幾度か行われた調査や測定の結果、山口地区の有馬川沿岸、船坂及び生瀬等の各地区では、井水及び川水中のフッ素含有量が大であること、これを飲料とする住民には斑状歯がいちじるしいということが、昭和三四年三月二五日に被告が発行した「西宮市史」第一巻にも記述されているところである。したがつて、被告としては、昭和四〇年当時において、右各地域の川水が高濃度のフッ素を含有していることやそれによる斑状歯が多発していることを知つていたか、少くとも知りうべきであつたことは明らかであるから、本件水道の水質検査によつて、原水中に前述のような高濃度のフッ素が検出されているという事実があれば、当然それによる斑状歯の発生の危険を予見し、それを防ぐために、原水中のフッ素を除去して、基準値以下にフッ素濃度を低減させたうえで給水する措置をとるべきである。そして、そのためには、毎月一回の水質検査にもとづいてフッ素濃度の調整を行うだけでは不十分であつたことは既述のとおりであるから、被告としては月一回の水質検査によつてフッ素濃度の調整を行うだけではなく、より高い頻度で水質検査を実施するなど常時継続的に水質を監視し、給水中のフッ素濃度を絶えず基準値以下に保つように調整すべきであつたといわなければならない。しかるに、被告は月一回の水質検査とその結果による水質調整処理を行つてきただけで、それ以上の措置をとることを怠つていたため、前記専門調査会答申が指摘しているように、実際にはかなり高濃度のフッ素を含んだままの水道水が給水されていたものと考えられる。

なお、〈証拠〉によると、昭和四七年になつてからは、地元自治会の要望もあつて、毎月一回の全項目にわたる水質検査を毎週一回実施するようになつたことが認められるが、それによつてフッ素濃度の調整がどのように実効を挙げたかについての証拠はなく、また、すでに原告の歯の石灰化期の大部分が経過したあとのことであるから、右のように水質検査の回数をふやしたことがあつても、原告の斑状歯の発生について格別の影響があつたとは認められない。

結局、原告の歯の石灰化期の大部分の期間を通じて、被告の本件水道における水質管理は毎月一回の水質検査のみによつて行われていたものであるところ、給水中のフッ素濃度を常時基準値以下に保つためにはその水質検査の回数では不十分で、フッ素濃度の調整が適切に行われず、その結果、実際には年間のうちの相当多くの期間、基準値の〇・八ppmを上回るフッ素を含んだ水道水が供給され、それを常時飲用した原告の歯に斑状歯を生ぜしめたものということになる。

六以上のとおり、被告としては、月一回の定期検査で原水中に水質基準をはるかに上回る高濃度のフッ素が検出されていたのであるから、さらに水質検査の頻度を多くし、かつ継続的に実施するなど水質の監視態勢を強化し、その結果に応じて前述のようなフッ素除去方法を適切かつ有効に行い、常時水質基準の基準値を越えないようにフッ素濃度を調整して給水すべきであり、また、そうすることが可能であつたのに、これをなさなかつたことになるから、水道事業者としての前記注意義務を怠つた過失があり、この過失により原告に斑状歯を発生せしめたものというべきである。

このような過失は、被告の経営する水道事業における水道水の需要者への供給という事業活動そのものについて、水道事業者である被告自身の事業遂行上の義務違反である。それは、被告の、地方公共団体としての、あるいは地方公営企業としての、代表機関あるいはこれに所属する個々の公務員が、その職務を行うについて故意または過失によつて他人に損害を与えたことにより、特定の個人について成立する不法行為ではなく、被告の経営する水道事業、すなわち地方公営企業としての企業組織自体の活動ないし行為についての過失であるから、その地方公営企業すなわち被告自身に不法行為が成立するものであり、民法第四四条あるいは同法第七一五条によるまでもなく、被告自身が民法第七〇九条によつて不法行為責任を負うべきである。

第七損害

一斑状歯の治療の要否

1  原告の歯が斑状歯に罹患していることは前記のとおりであるが、既述のように、斑状歯であつても、重症のものは別として、通常は歯牙組織について何ら障害はなく、むしろう蝕罹患率が低いという点では有益でさえある。したがつて、斑状歯であることは、歯の機能的な面では欠陥とはいえず、その治療の必要もないものであつて、斑状歯が歯の欠陥あるいは障害として問題となるのは、主にその外観上の美醜という審美的な面である。そうすると、治療の要否ももつぱらそのような美容上の観点から考えなければならないことになるので、斑状歯について治療が必要になるのは、一般的にいえば、美容上不快と認められ、かつ、それが通常人にとつて心理的に障害となるような程度の症状の場合ということになると考えられる。

ただ、重症度の場合、すなわち、歯面に現われている白斑症状が殆んど全歯面に及び、しかも白斑の度合いが強く、実質欠損も認められ、この実質欠損がさらに拡大進行するおそれがあり、患者の口腔の審美性を著しく損つている場合(ディーン分類による重度型Severe、厚生省分類でのM3の例)では、客観的な症状から早期治療の必要があるとされている。

2  斑状歯が美容上どの程度から問題となるかについて、専門の学者の意見は以下のとおりである。

先ず、ディーンは、Moderate以上で、かつ、着色のあるものを「好ましくない(Objectionable)歯牙フッ素症」とし、Mild以下のものは、いわゆる軽度および軽微型として、公衆衛生的意義は僅少で審美性の問題はない、としている(「斑状歯の疫学的解釈」)。

高江洲鑑定及び証人高江洲義矩の証言では、既述の客観的に治療が必要な重症度のほかに、ディーン分類のModerate'厚生省分類のM2の程度で、本人が心理的に重圧を受けている場合を治療が必要な場合として挙げるが、その場合は、重症度の場合と異なり、本人の主観的要素が入るので、その分析が必要であり、治療の要否には慎重な検討が必要であるとする。また、前出甲第三五号証では、中等度以上は、誰が見ても(斑状歯の異常が)わかるので審美障害ということができるが、一般的にはMildまでは日常ほとんど気付かないであろうと述べている。もつとも、証人高江洲義矩の証言も、厚生省分類のM1でも審美性に重大な場合があることを、必ずしも否定はしていない。

そのほか、証人松村敏治、同中垣晴男及び同飯塚喜一の各証言も、いずれも、斑状歯が美容上問題となるのは厚生省分類あるいは東京歯大分類のM2以上の場合であつて、東京歯大分類のM1′以下のものについては美容上の障害とはならず、したがつて、治療の必要もないとしている。

3  これらの見解を総じていえば、原則として、厚生省分類及び東京歯大分類のM2以上、ディーン分類のModerate以上の斑状歯が美容上の障害と考えられ、その場合に治療の必要が認められることになるが、それ以下の症例(厚生省分類のM1、東京歯大分類のM1′あるいはM1)の場合でも、特に白斑部分と正常な部分との段差が著しく目立つなど外見上不快の度合が強いものについては、例外的に治療が必要と認められる場合もありうる、ということでほぼ一致しているということができる。

もつとも、美容上の不快の程度あるいは審美性という問題になると、かなり主観的なものに左右され、学理的に定義づけることは難しく、客観的な基準を定立することは困難なことであるが、一般的にいえば美容上の不快の程度も概ね斑状歯の症度の軽重に対応するのが通例であるので、前記斑状歯の症度別分類基準を美容上の不快の程度の判定基準として用いることは、一応合理的かつ妥当なものというべきである。ただ、既述のように、その分類基準はもつぱら白斑症状部分の面積の大小によつていて、濃淡の度合や色合いなど視覚的な美感に関する点は考慮されていないので、美容上あるいは審美的な問題の基準としては必ずしも適切でない面があることに留意する必要がある。

4  また、斑状歯の治療について特異な点は、それがもつぱら美容上の障害の修復のために行われ、しかも、その目的のために、機能的には何ら欠陥はなく、むしろう蝕に対する抵抗力が強いという点では正常な歯よりもすぐれた性質を備えた自然の歯を削りとつて、人工物を補綴するというところにある。現在一般に用いられている治療法は、ポーセレンによる歯冠補綴(いわゆるメタルボンド)、すなわち、歯冠部の表層を削り取つて、ポーセレンクラウンに置き換える方法であるが、人工的に取り付けたポーセレンと本来の歯牙との継ぎ目のところの歯ぐきの歯肉が変色して黒ずんでくるとか、その部分の歯肉が退縮したり、炎症を起しやすいといつた障害を生ずることが多く、更に、治療部分の経年的変化による変色などにより、美容上も好ましくない結果になることもあるといわれている。このように、治療をすることによつて、斑状歯の病変部分はたしかに消失するが、逆に生理的、機能的な面の障害を生じ、更には美容上も悪い結果になることさえあるために、斑状歯の治療は、審美的な修復による満足と、それに伴う障害とのかね合いを考慮する必要があり、前記専門学者の諸家の見解(証人高江洲義矩の証言及び高江洲鑑定、証人松村敏治、同飯塚喜一及び同中垣晴男の各証言)も、美容上の不満が本人にとつて耐えられるものであれば、むしろ治療しない方がよいという点で一致している。そして、客観的に見て、通常の人が美容上の不快さを耐えられる程度を越えるものとして、前述のようにM2あるいはModerate以上を要治療としているものと考えられる。

5 以上のような斑状歯の治療についての問題点や専門学者の見解を考慮すれば、不法行為による損害賠償の要否についての客観的合理的な基準としては、通常人が美容上の不快を耐えられる限度を越える厚生省分類及び東京歯大分類のM2以上、ディーン分類のModerate以上の症度の斑状歯を要治療歯とするのが相当であると考えられる。

ただ、原則として右の基準によつて治療の要否を判定すべきものとしても、既述のように、これに用いられる分類基準自体が病変部分の面積の大小のみによるもので、美容上の審美性にかかわることについて必ずしも適切でない面もあるうえ、特に女性のように美容上の欠陥を強く意識するものについては、前述のような治療に伴う障害よりは美容上の修復を望む本人の意思の方を重視しなければならない場合もあると考えられる。高江洲鑑定及び証人高江洲義矩の証言も、本人が治療を強く望むのであれば、現在行われている治療法の審美性回復についての医療技術的な限界と予後の障害防止のために本人がなすべき維持保守の措置を十分に説明したうえで、できるだけ治療したいという希望を満足させるように配慮すべきであるとしているが、前述の要治療歯の基準を原則としたうえで、個々の症例については、本人の年令、性別、実際の症状、本人の治療意思などの個別的な事情も考慮して、治療の要否を判定するのが相当である。

第一図 赤子谷川の取水経過図

(第一表) 班状歯の分類基準

厚生省(1953)

Dean(1934)

東京歯大衛生教室上田ら(1964)

M0(M±):疑問型

questionable(Q)

M0:疑問型

M1:白濁部が全歯面にまでいたらない。

着色の見られることがある(M1-B)。

(very mild(VM)

白濁部が歯面の25%以下。

着色はみられない。

mild(M)

白濁部が少なくとも歯面の50%

前後を占める。

着色が見られることがある。

M1:白濁が歯面の1/4(25%)以下。

着色はみられない。

M1:白濁部が歯面の1/4-3/4を占めるもの。

着色の見られることがある(M1-B)。

M2:白濁部がほとんど全歯面におよんでいるもの。

着色の見られることがある(M2-B)。

moderate(MO)

白濁部が歯面のほとんどにおよぶ。

小さな凹陥部(pitting)の見られることもある。

着色の見られることがある。

M2:白濁が歯面のほとんど(3/4以上)におよんでいる。

pittingを認めない。着色の見られることがある(M2-B)。

M3:M1,M2の変化にpitting形成が加わる。

更に高度の実質欠損を示すものもある。

着色も著明(M3-B)。

severe(SV)

不連続あるいは合流したpitting形成。

エナメル形成不全著明。

着色も著明なものが多い。

M3:M2の変化にpitting形成が加わる。更に高度の実質欠損を示すものもある。

着色も著明(M3-B)。

第二図

6  斑状歯の治療の要否については、歯の部位による範囲も考える必要があり、通常は、人が話すときに口から見えるのは、いわゆる前歯、すなわち、左右の各一ないし三番の歯で、時には四番(第一小臼歯)まで見えることがあるくらいで、美容上の観点からはその範囲を治療すれば足り、それよりも奥の歯は、よほど重症でない限り治療の必要はないといわれている。「西宮市斑状歯の認定及び治療補償に関する規程」の第八条が、原則として一番から五番までの範囲の歯を治療の対象と定めているのも、右のような考え方を考慮した規定と思われるが、本件においても、部位的には、最大限右規程の定める一番から五番までを治療対象となるべき範囲と認めることとする。

7  原告の斑状歯の症度分類からすれば、専門調査会の判定ではすべてM1′であつて、治療の必要はないことになり、証人松村敏治及び同中垣晴男の各証言も、原告の斑状歯は、治療の必要はないとしている。

また、高江洲鑑定も、原告の斑状歯の症度分類については厚生省分類のM2と判定しながらも、前述のような斑状歯治療上の問題を指摘し、中等度の症例でも治療を必要としないものもあるとしたうえで、原告の未治療歯はいずれも(歯面全面に白濁が認められるが、濃淡の弱い白濁であるので)治療の必要はないとしている。

これらの見解によれば、原告の斑状歯は、補綴治療済の六本も含めて、いずれも治療する必要はないということになるが、少くとも高江洲鑑定で厚生省分類及び東京歯大分類のM2と判定された歯については、既述のようにM1′の判定が正しいとしてもM2に近い症例の場合として、その分類基準からは一応治療歯に該当し、また前述のような斑状歯治療の特殊性と原告本人の年令、性別及び治療希望の意思の強いことも考慮して、治療の必要性を認めるのが相当である。そうすると、これに該当するのは、別紙第二表の2によると、上右の四番、下左右の各一ないし三番である。また、上左の四番はM1′であるけれども、前述のようにM1′とM2の判断がかなり微妙な症例であること及び上右の四番を治療するとすれば、それと対称の位置にある歯も治療する方が審美的に妥当であることを考慮し、これをも要治療歯の範囲に含めることとする。そして、補綴治療済の上左右の各一ないし三番も、少くとも右要治療歯と同等以上の症度であつたと認めるべきであるから、これを含めて、結局上左右の各一ないし四番、下左右の各一ないし三番の範囲を要治療歯と認めることとする。したがつて、その余の歯については、その部位と症度に照らし、治療の必要はないものとし、ただ、その斑状歯であることの心理的な負担や不快感を慰謝料によつて補償するのに止めるのが相当である。

二治療費の損害賠償請求について

原告は、本件において、治療の必要性がある歯として、上下左右のそれぞれ一ないし五番の合計二〇本の歯についてその治療費の賠償を求めているが、そのうち、右要治療歯として認めるべき合計一四本についてのみ治療費の賠償を認めることになる。そして、歯一本当りの治療費相当額については、証人伊熊和也の証言により真正に成立したものと認められる甲第二号証、同証言及び弁論の全趣旨によると、原告において上歯左右各一ないし三番の計六本について既に治療を受け終り、その際治療費として一本当り金九万円を支払つている事実が認められ、また、ポーセレン歯冠補綴による治療費が歯一本につき金九万円程度であることは被告もこれを認めている。したがつて、右治療を要すると認める一四本の歯についていずれも一本当り金九万円、合計金一二六万円の治療費を要するものと認めるのが相当であり、原告の治療費についての損害賠償請求は右の限度で理由がある。

(第二表の1)

(第二表の2)

(第三表) 地域フッ素症指数(CFI)

(第四表) 北部地域水道水中のフッ素(F)濃度およびその推測値

三慰謝料請求について

原告の歯が斑状歯になつたことによつて、原告が自分の歯に美容上の欠陥のあることを意識し、そのため絶えず不快感あるいは精神的な負担を感じてきたことは首肯し得るし、また、すでに行つた、あるいは今後行うべき治療によつても精神的な苦痛を受けることも当然考えられるところである。斑状歯であることによつて生ずるこれらの精神的な苦痛は、被告の不法行為によるものであるから、被告はこれについて慰謝料を支払うべき責任があるといわなければならない。

ただ、斑状歯による障害あるいは欠陥がもつぱら美容上の問題であつて、歯の機能自体には何ら障害はないものであること、その他前述のような斑状歯治療の特異性とその治療の方法、内容、原告の斑状歯の症状の程度と部位、原告の年令及び性別その他諸般の事情を考慮すると、既述の治療を必要とする歯及びそれ以外の治療を必要としない歯の分も含めて、金八〇万円の慰謝料が相当であると認められる。

四弁護士費用について

本件事案の内容及び性質に鑑みると、金二〇万円の限度で認めるのが相当である。

第八被告の抗弁の当否

一被告が、市民に対する行政措置として、賠償責任の有無にかかわらず、斑状歯の罹患者に対する治療補償の制度を設けていることは既述のとおりであるが、それによる救済と不法行為としての賠償責任とはその性質と目的を異にするものであり、右治療補償制度の存在によつて、不法行為による損害賠償請求権が当然に消滅することにはならない。もちろん、原告が右治療補償の制度によつて治療を受けたならば、その限度で損害が補填されたことになり、それに相応する損害賠償請求権も消滅することは当然であるが、原告は右治療補償規程による治療補償は受けていないし、また、これを受けなければならないものでもない。斑状歯のように地域住民に集団的に発生した被害については、多数の被害者を適正かつ効率的に救済するために、一定の基準と方式を定めて、一つの制度として定型的な処理をすることが必要かつ、妥当であり、それがまた各被害者ごとに個別的な処理をする場合に生ずる不統一、不均衡を避け、各被害者間の公平をはかることにも適うものといえる。そして、被告の設けた治療補償制度は、前記治療補償規程の内容やその制定の経緯に照らし、被害者にとつて決して不当なものではなく、むしろ、おゝむね適正妥当なものというべきである。その制度が発足した当初の時期においては、認定審査会の委員の選任をめぐる紛争などによる混乱があつて、治療決定の手続が円滑にすすまないという事態もあつたが、その後現在に至るまでには、すでに多くの斑状歯罹患者がこの治療補償制度による救済を受けていることも事実であり、その制度がその面での効用を果していることは十分に評価することができ、被害者としてもできるだけこの制度を利用することが望ましいことではある。しかし、その被害が不法行為によつて生じたものである以上、加害者の方で設定した被害の救済方法があつたとしても、被害者として、その救済方法でなければ救済を受けられないものとすべき根拠はない。したがつて、原告としては、被告の治療補償規程による救済を申請することを強いられる理由はなく、それとは別に損害賠償請求をなすことを否定すべきではないし、右治療補償制度を利用することなく損害賠償請求の手段に出たことをもつて、それが信義則に反するものともいえない。

二また、〈証拠〉により、被告が、昭和五八年六月二日付で、原告に対し、未治療歯について治療補償規程による治療を受けることを要望する申入れをなしたことは認められるが、これをもつて債務の弁済の提供と見ることはできず、原告としてもその規程による補償を受けるかどうかは自由であり、それに応じなかつたからといつて、本訴請求が信義則に反するとはいえない。

三したがつて、被告の抗弁はいずれも理由がない。

第九結論

よつて本訴請求は、治療費賠償額金一二六万円、慰謝料額金八〇万円及び弁護士費用金二〇万円、以上合計金二二六万円とこれに対する原告の昭和五八年二月三日付請求の趣旨拡張申立書送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五八年二月四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条、第九二条を、仮執行宣言につき同法第一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高橋史朗 裁判官川崎英治 裁判官藤本久俊)

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